東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編 羅山泥火山と羅山瀑布、邱家古厝、明里菸樓、富里基督長老教會、義聖宮、馬里旺(Maliwang)紀念碑【花蓮縣富里郷】
【羅山泥火山と羅山瀑布】
花蓮・富里郷には、台湾東部で最も古い天然ガス田があります。場所は富里郷羅山村。海岸山脈の麓にある小さな農村で、住民のほとんどが客家人と呼ばれる人達です。この附近一帯はレジャースポットとされており、中でも羅山瀑布(滝)は有名です。
螺仔渓(川)の上流にあり、海岸山脈の断層によって出来た、高さは約120メートル、上下二層に分かれた滝です。
羅山瀑布(滝)付近には羅山泥火山があります。地元の人たちには「鹽坪」と呼んでいます。噴出した泥は弱アルカリ性でガスを含み、少し塩味も感じられます。付近の住民は昔から泥火山から噴出したガスを集めて炊事の際の燃料として用いていたそうです。故に、台湾東部でもっとも古い天然ガス田と呼ばれているようです。
弱アルカリ性で、塩分を含んだ泥。普通に考えれば、植物は成長しないはずです。しかし不思議なことに、様々な植物が発見されとり、海辺の原生植物の他に、「鬯蕨」(大型のシダ系植物)が発見されており、泥火山地特有の植物といわれています。
羅山村を訪れた際、是非、ご賞味頂きたいのが、「火山豆腐」。一時、その姿は完全に消えてなくなっていましたが、村人によって復活されました。ニガリの代わりに、泥火山から塩水を採取し、沈殿濾過し、豆腐を作っています。独特の風味が感じられ、豆の香りも濃厚に感じます。ただし、全てが手作りですので、一日の生産量は多くないので売り切れにはご注意を。
【河南堂「邱家古厝」】
河南堂「邱家」は、文化財保存法に基づく「史跡」に指定はされていないものの、花蓮では最も古い家屋の一つです。まず、伝統文化の特徴を完ぺきな状態で保存されており、清朝時代の江南と台湾の民俗建築の美しさが感じられます。東部開拓時代を物語る貴重な歴史的建造物です。富里郷で最も早く開発され、自然に形成された行政の中心地は、以前は大庄的東里村でした。これは、大庄人の年長者達の誇りでもあります。その東里村に残る河南堂「邱家厝」は歴史的価値の非常に高い建造物と言えるでしょう。
昭和3年(1928年)「養元中藥房」の主人である邱安德氏が自ら設計したもので、家族や社会的地位を象徴するために建てられました。建築には2年の歳月をかけ、伝統的な客家の家を建てたのです。細部の絵画は全て邱安德氏が1年ほどをかけて描いたもので、全てが完成したのは、昭和6年(1931年)でした。
邱家古厝の特徴は、屋根がわずかに湾曲しており、古代寺院の「燕尾脊(燕尾屋根)」に似ています。窓はすべて木材で作られており、彫刻が施されています。アンティークな「窓格子」は芸術性も高く、その美しさには目を見張ります。建物の接合部分は一世紀が過ぎた今もズレることなく、当時の職人の技術の高さを感じます。建物の中心は当然、正廳堂(本殿)ですが、屋内の書や絵画も見事です。
さらに、邱家古厝のもう一つの特徴は、風水を重視して建てられている事です。そのため住宅の向きが台湾最高峰の玉山に向いているのはそのためです。高い山と長い川が、将来の世代に対しても気を高めてくれると言う意味があります。邱家古厝は何度も地震に見舞われ、特に 1951 年 10 月の地震では部分的に被害が出ました。地震の多い花蓮はさらに、毎年台風や豪雨が発生します。そのため、本殿の石柱を木材で補強し、倒壊を防いでいます。邱家古厝は、この地へ移住した際の血の出る様な苦労の歴史を今に伝えています。
【明里菸樓】
富里郷でのタバコ栽培は昭和14年(1939年)に始まり、当初は明里村にタバコの乾燥小屋(菸樓)は8軒しかありませんでした。戦後、徐々にタバコ産業が盛んになり、村内のほぼ全ての家がタバコの乾燥小屋(菸樓)を建てました。
近年、タバコの栽培は衰退し、タバコの乾燥小屋は住宅に改装されるか、新式の乾燥室に建て替えられました。これに伴い、日本時代のタバコの乾燥小屋(菸樓)は姿を消していきましたが、明里村では、歴史的建造物として10数軒が大切に今も保存されています。
明里村はタバコ文化の村と言え、その長い歴史に加え、タバコの葉の栽培と数多くのタバコの乾燥小屋(菸樓)があり、村の老若男女はタバコの葉の話をするとすぐに興味を持って話しかけてきます。タバコの栽培、タバコの摘み方、焙煎、タバコの摘み取り、そしてタバコの引き渡しまでをわかりやすく丁寧に説明してくれます。
【富里基督長老教會】
富里基督長老教會(富里キリスト教長老教会)は、台湾東部で最も古い長老教会の 1 つです。1876 年 (清光緒元年) に設立されました。教会の礼拝堂は富里國中(富里中学校)の校門の南側にあり、現在の建物は1951年に改修されたもので、美しく立派な建物です。特に、アラビアンスタイルとヨーロピアンスタイルが融合したドアや窓は非常に珍しいものです。
【義聖宮】
富里義聖宮は一般に「大廟」または「帝君廟」と呼ばれ關聖帝君をお祀りしています。明治40年からお祀りされており、100年以上の歴史があります。郷内で最も盛大な香火(子孫が先祖を祭る行事)が執り行われる角頭大廟は、7つの村が一緒に執り行うお祀りでもあります。寺廟(寺院)は昭和9年に創建され、その後何度か修築されています。現在の寺廟は民1983年に建てられ、2つの入り口と7つの山燕尾(反った屋根)を備えた伝統的な寺廟の建築形式であり、非常に価値の高い建造物です。
尚、寺廟に入る際は、台湾では、右から入り、左から出るのが習わしです。寺廟によっては入口が3つのところもありますが、真ん中の入口は神様の通り道ですから、通らない様にしてください。
【馬里旺(Maliwang)紀念碑】
1904 年、富里の公埔と大庄の 2 つの公学校(現在の富里村と東里村)は資金不足のため学校運営が困難となりました。そこで、公埔と大庄の村人が総動員で、荒れ地の開墾を行い、農作物を栽培し、その収益を学校運営費に充てました。この事からこの場所を「學田」と名付けました。しかし、当時その地は布農族の領地であったため、漢人と布農族との間で激しい争いがありました。この地を開拓した漢人の苦労を記録するとともに、その功績を称えるために建てられたのが馬里旺(Maliwang)紀念碑です。同時にこの事件で命を落とした犠牲者を慰霊するための碑でもあります。
*羅山瀑布:花蓮県富里郷羅山村
*河南堂「邱家古厝」:花蓮縣富里郷東里村道化路32號
*明里菸樓:花蓮縣富里鄉明里村
*富里基督長老教會:花蓮縣富里鄉新興村東興109號
*義聖宮:花蓮縣富里郷永安街145號
*馬里旺(Maliwang)紀念碑:花蓮縣富里鄉學田村
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