東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編 太魯閣の戦役以前の太魯閣族

太魯閣族(タロコ族)は、台湾の東部に居住する台湾原住民の一部族です。

花蓮県北部の秀林郷、卓渓郷を中心に分布。元来は南投県仁愛郷に居住していましたが17世紀に人口増加と漢人入植者の増大による耕地不足により、花蓮地区に移動。日本統治時代では泰雅族(タイヤル族)の支族とされていました。その分類は、戦後も引き継がれていましたが、2004114日に中華民国内政部より独自の民族としての認可を受け、台湾における12番目の原住民とされました。

このため過去の文献では、現在太魯閣族と呼ばれている人たちを、「泰雅族」もしくは「賽德克族(セデック族)」に含まれている事もあります。

前章でご紹介しました太魯閣の戦役以前の太魯閣族は大きく分けて内太魯閣地区、外太魯閣地区、巴托蘭地区の3か所の地域に居住していました。

 

≪内太魯閣地区≫

東は科蘭から西は中央山脈に至る立霧渓の中上流域を外太魯閣地区と言います。

太魯閣族語では、「Dogiaq Torako」と言い、このDogiaqとは「山頂」「内側」の意味で、太魯閣の高い場所を意味します。居住地としては、主に立霧渓の中流域と上流域にあり、その多くは川沿いの段丘や緩やかな斜面でした。ここは花蓮に移住した太魯閣族の初期の居住地域でした。

元々太魯閣族は、Toroko-Torowan(現、南投縣仁愛鄉西南方山腹)に住んでいましたが、東へと移動し、中央山脈を越えて秀林郷の山中に定住した者もいます。さらに、そこから、中央山脈と科蘭の間に移住していった者もいます。1914年の時点で、内太魯閣地域には、40余りの部落が存在していました。

 

外太魯閣地区≫

外太魯閣地区は、中央山脈の東側の尾根、北の大濁水溪から南の加禮宛山までです。

太魯閣族語では、 「Mokisiyau Toroko」と言います。 Mokisiyauとは「外」「端」を意味します。主に中央山脈東側尾根の山地や渓谷に分布しており、海拔26800mの間です。北は平溪渓(以前は、濁水溪と呼ばれていた)に始まり、南は加禮宛山、東は太平洋或花東縱谷西側の山麓上方部に接し、西は、卡奧灣(Qaugwan)、巴達幹(Batakan)、桑巴拉堪(Sonpalangna)より東の山岳地帯となります。

外太魯閣地区の太魯閣族の大部分は以前は、立霧溪中流域、上流域一帯の部落に住んでおり、約150200年前に東へと移動しました。1914 年当時、40余りの部落が存在していました。

 

≪巴托蘭地区≫

巴托蘭地区は、木瓜溪中流域から上流域一帯の山間部です。そこに、巴托蘭部落を作り住んでいました。


1895年に日本が台湾を統治しましたが、日本時代以前の太魯閣族に関する文献は非常に少なく、それぞれの地域にどれほどの太魯閣族が住んでいたかについては明確な文献は存在しません。歴史学者の間では諸説あり、1万人という説や30005000人という説もありますが、正確な数字は判明していません。

大正 3 (1914)、太魯閣の戦役終了後、同年末から警察によって第一回人口調査が行われました。ただ、先にも述べました様に、この時点では太魯閣族は泰雅族、賽德克族と同じ部族と考えられていたため、この人口調査の結果からも、今の太魯閣族の祖先の正確な人口を導く出すことには疑問が残ります。

現在17部族が中華民国政府によって認められている原住民ですが、実際には、24部族が存在すると言う見解もあります。

日本時代、原住民については、どこまで正確に把握していたのかはわかりません。

筆者が初めて台湾に住みだした39年前、原住民は9部族でした。その後、原住民自身が政府に自分達の部族を独立した部族として認めるべきであると言う運動が起こり、現在に至っています。

台湾原住民が何処から来たのか。何時頃から台湾に住み始めたのか。原住民に関する研究は専門家の方々が今も研究を続けており、日々、新たな発見があるようです。

最後に、花蓮へ旅をされ、原住民の手工芸品などをお土産に購入したいというお声を筆者が日本人観光客をご案内した際に多数聞かれました。そこで、筆者がお薦めするお店をご紹介しておきましょう。

場所は、花蓮市博愛街116號。原風藝站というお店です。ここのオーナーさんは、黄夏凡さんという太魯閣族の女性の方で、彼女は以前から「原住民の生活を向上させたい。そのためには、各部族が独自に製造販売している手工芸品の品質、デザイン性を高め、東台湾に住む原住民の手工芸品を一か所に集め、展示販売する拠点が必要である。」と感じ、花蓮縣原住民族生活產業協會を2011101日に立ち上げました。彼女自身も服飾デザイナーで、東台湾原住民の伝統的な色彩、デザインを取り入れたデザインの服を製作しています。

是非、花蓮に行った際にはお店を覗いてみてください。見ているだけで楽しくなるお店です。

内太魯閣地区の太魯閣族女性
國家文化記憶庫より 顧我洄瀾:花蓮歷史影像集 葉柏強先生提供

花蓮港廰に住む太魯閣族少女
國家文化記憶庫より

太魯閣渓谷入口に立つ太魯閣族女性
國家文化記憶庫より 顧我洄瀾:花蓮歷史影像集 葉柏強先生提供

機織をする太魯閣族女性
國家文化記憶庫より 顧我洄瀾:花蓮歷史影像集 葉柏強先生提供

口琴を奏でる太魯閣族女性(同じ楽器をアイヌ民族も使用)
國家文化記憶庫より

凶蕃と恐れられた太魯閣族
國家文化記憶庫より 顧我洄瀾:花蓮歷史影像集 葉柏強先生提供

太魯閣族少女
國家文化記憶庫より

太魯閣渓谷内で撮影された太魯閣族家族
國家文化記憶庫より

顔に刺青をする太魯閣族
國家文化記憶庫より

太魯閣族人夫
國家文化記憶庫より 顧我洄瀾:花蓮歷史影像集 葉柏強先生提供

太魯閣族女性
國家文化記憶庫より 顧我洄瀾:花蓮歷史影像集 葉柏強先生提供

太魯閣族女性
國家文化記憶庫より 顧我洄瀾:花蓮歷史影像集 葉柏強先生提供

巴托蘭部落総頭目の卡拉瓦旦
國家文化記憶庫より 顧我洄瀾:花蓮歷史影像集 葉柏強先生提供

巴托蘭部落総頭目の卡拉瓦旦の家族
國家文化記憶庫より 顧我洄瀾:花蓮歷史影像集 葉柏強先生提供

原風藝站
花蓮市博愛街116



 












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