東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編 伝統を守り、伝承し続ける太巴塱部落の阿美族 身分制度と豊年祭の意義 【花蓮縣光復郷】
原住民にはそれぞれの部族によって独自の文化、習慣、言語等々があります。
台湾で最も人数の多い阿美族の場合も同じです。ただ、近代化が進む現在、徐々にその独自の文化、習慣、言語が失われようとしている事も事実です。
その様な状況の中でも、昔ながらの伝統的な文化、習慣を守り続け、後世へ伝承しているのが太巴塱部落の阿美族です。
【伝統的な身分制度とKakitaan】
伝統的に、太巴塱の社会制度は、Kakitaan、Fitolol、Pakacaya とCitelayaの4つの非支配階級に分かれています。Kakitaanは部族のリーダー家族(頭目)であり、部族の首狩りの犠牲、ilisin(今の豊年祭)の主祭、部族会議の招集、部族間での資源等の割り当てなどの重要な行政機能を担当します。その地位は世襲です。Kakitaanに後継者がいない場合は、Fitololが占いによって選ばれ継承される。Pakacayaは部族内の一般住民であり、農業で得た収穫の一部はKakitaanに渡さなければなりません。Citelayaは太巴塱に逃れてきた非地元の者で、土地の権利を持たず、居住地と耕作地を割り当てるKakitaanの直接管轄下にあります。
現在、太巴塱福強街には、「太巴塱Kakitaan先祖代々の家」があります。元の祖先の家は1958年の台風で被害を受け、その残骸は部族の同意を得て、中央研究所の研究員、劉斌雄氏らによって収集され、中央研究院に収蔵されています。 2002 年、太巴塱の人々の復興運動により、2006 年に「太巴塱Kakitaan先祖代々の家」が何玉蘭さんとその家族の管理によって再建されました。しかし、今日の部族はKakitaanによって統括されているのではなく、年齢階級と公認頭目や祭司などによって統制されています。
【現在も受け継がれている年齡階層制度】
太巴塱では年齢階級を「selal」と呼び、阿美族の年齢階級制度に「輪名制命名法」を採用しています。阿美族には古くから伝わる17の階級名があり、各男性の階級はその中から選択されています。
太巴塱部落年齡階層
【信仰】
☆巫覡と精霊信仰
キリスト教と日本の統治政権が太巴塱部落に侵入する前は、太巴塱部落の阿美族は他の阿美族と同様に、非常に厳格な精霊の信仰体系を守り続けていました。伝統的な信仰を日常生活で実践することはすべての部族の責任で、特別な体質を持った人々が、訓練を経て、「Sisakawihay」或「Sikawasay」と呼ばれるようになり、悪を追い払い、病気を治すことができる巫師(シャーマン)になることが出来ました。太巴塱の巫師(シャーマン)は、鳳林周辺の一部の部落にまで影響力を持っていました。壽豐溪(川)の北側の里漏部落の阿美族は、Tadaloma'系の巫師(シャーマン)で、太巴塱部落のそれとは少し違いました。キリスト教が広く原住民の間で広まっても、部落内で伝統的な巫師(シャーマン)制度が消えることはありませんでした。
1982年に黄偉子によって建てられた三宝堂は外見は中国風の祭壇のように見えますが、実際には阿美族の伝統的な巫師(シャーマン)が描かれています。 2020年代には、太巴塱と馬太鞍の巫師(シャーマン)は巫師(シャーマン)文化と伝統的な信仰の概念を現在にも伝承するために、文化活性化団体を結成しました。
☆漢族伝統信仰
漢族伝統信仰は清朝時代末期に太巴塱部落に入ってきました。その理由は、入植者たちが光復郷一帯で仏様をお祀りすることを望み、玉里鎮の八通關集落から2体の仏像を運び込んだのが始まりです。仏像が光復郷に到着したとき、太巴塱部落の阿美族は小さな黄金に輝く仏像があまりにも美しく彼らは漢民族からそれを奪い、それが原因で紛争が起こりました。地元の知識人たちが紛争の仲介に入り、最終的にこの2つの仏像は村民の陳火如の民家に安置されることになりました。しかし、漢人の民家に仏像を安置する事で、阿美族の人々は参拝する事が非常に不便となったため、漢人と廟を建てる事で協議を行い、半世紀の時間を経て、協天宮が建てられました。協天宮には、十六羅漢の石像が庭に建てられています。協天宮の完成以後、光復郷には土地公廟、關聖帝君、文昌君、玉泉寺など多くの寺や廟が建てられました。
☆神道教
日本時代、日本政府は部族内での神道の信仰を奨励していましたが、現在は存在しません。
1937年、太巴塱部落にも三神と北白川宮能久親王を祀る神社「富田神社」が建立され、しかし、神社は 1945 年の台風で倒壊し、1958 年に富田神社跡に協天宮が建てられました。再建されました。現在でも、白川宮能久親王の碑文が協天宮の壁に残っています。
☆キリスト教(基督教)
基督教が太巴塱部落の阿美族に入って来たのは、部落の Kacaw Ipay が難病を患い、台北馬偕醫院で治療を続けていましたが一向に回復する兆しが見えませんでした。そんな時、同病院所属の讃美歌グループが訪れ、讃美歌を歌っているのを聞いた Kacaw Ipayは、その後 奇蹟的に具合が良くなり、これは、キリストのおかげだと信じるようになりました。Kacaw Ipayはその後、キリストの教えを学び、洗礼も受け、キリスト教徒になり、病気から回復した後、彼は太巴塱部落に戻り、自分の経験を伝え、伝道することを誓ったのです。当初は教会などなく、各家庭を訪問して信者を増やしていましたが、この方法では限界があると言う事で、信者たちが材料を持ち寄り、茅葺の教会を1946年に建てましたが、8年後の台風により大きな被害を受けました。1954年、初代牧師の王玉信牧師の呼びかけで寄付金を募り、50坪の鉄筋コンクリート造の教会を建てようとしましたが、思う様に寄付金が集まらず、1963年、呉清雲が伝道のため故郷に戻り、2年後に、教会の2代目牧師となり資金集めを続け、遂に、1969年に教会を完成させたのです。
☆天主教
1950年、漢籍の神父、王步融先生が北富國民學校(現、太巴塱國小)校長に就任した際、台北の郭若師大司教によって光復郷での布教活動を行う様に任命され、当時の花蓮縣縣長(知事)の曹恵川氏と光復郷郷長(町長)の梁阿胡氏の助けで順調に太巴塱部落に入ることができ、太巴塱部落の人々に歓迎されました。
校長と司祭の兼務で、最初は学校の寮を一時的な伝道の場所として使用し、同じ寮にいた林景良及陳景嵐という二人の教師が次第に熱心に布教活動を手伝ってくれました。徐々に学校の生徒や教師も参加するようになり、これは布教活動に大きな助けとなりました。
1951年の花蓮地震の際、天主教教会は救援物資を集め、太巴塱部落の人々の災害後の復興を支援したため、太巴塱部落での天主教布教活動はスムーズに進みました。その後、信者達は協力して物資を購入し、レンガ造の鉄筋コンクリート造の教会が1954年に完成しました。その後、光復大馬天主堂、西富天主堂、大全天主堂が相次いで建てられました。
Ilisin(年祭)
太巴塱部落の一年の中で最大の伝統祭儀であるilisin (年祭・豊年祭)ですが、近年は八月の第三週の金曜日から翌週にかけて行われることが多くなりました。太巴塱の ilisin は約5日間あります。豊年祭と言えば、華やかな民族衣装を纏って阿美族の人々の踊りだけだと思っている方も多いはずですが、実際には、ilisinの一週間前から様々な儀式が行われています。
尚、太巴塱部落の豊年祭会場は、太巴塱部落発祥の地 Saksakay にある太巴塱「祭祀廣場/舞祭場」でおこなわれています。
【Ilisinの各儀式の内容】
Ilisin 一週間前
ilisin の一週間前に、太巴塱の若い男子青年階層が昔から同盟関係を結んでいる奇美部落に対し、太巴塱部落で行われる ilisinに、奇美部落の長老及び青年を招待する旨を伝達しに行きます。(patakos)
◆Misowac(山訓:山岳訓練)
patakos の後、太巴塱の青年階層の人々は近くの山岳地帯でmisowac(巡守の意味で、山岳訓練と呼ばれる)。この活動には、mipaheko(猫狩り、日中の野外技能訓練)とpakimad(勉学,夜間に上の者が下の者に教育を行う)とがあり、これは、現代社会においても、阿美族の男子として伝統的な技能と美徳を学ぶ課程として大切に守られています。
また、ilisinが始まる約1週間前にからは、「頭に角のある動物、翼のある生き物、水中で動く生き物、玉ねぎ、生姜、ネギ、その他の強い刺激の調味料」はすべて食べることが禁止されます。ilisinの前後では、ほぼ豚肉だけを食べます。さらに、男女間の親密な関係も避けなければなりません。
Ilisin 第一日
◆Pakaranam と Paaro'
儀式が完了すると、彼らは祖先の霊の象徴として一対のたいまつを持ち、Saksakayから部落の境界にある踊りの儀式の場所まで走り、「祖靈屋」にたいまつを置きます。踊りの儀式の会場の隅にある「祖靈屋」は、先祖が儀式を鑑賞し、人々を守護するための場所です。
伝統的に、他の部族やゲストが招待されます。これをMililafang(宴客)と呼び、今も続けられています。
◆Likoda' no kasaselal(各階層楽舞:各階層ごとの踊り)
「Likoda'」は阿美族特有の言葉で、中国語でも決まった表現方法はありません。一般的には「輪になって踊る(輪舞)」という意味合いに訳されています。しかし、必ずしも輪になって踊るわけではなく、阿美族の人々にとっては、超自然的な世界との対話をするための行動とされています。故に、音楽や踊りのステップは単なるパフォーマンスではなく、特定の規範と意味がそれぞれにあります。には固定された中国語名はなく、表面的には「輪舞」または「輪舞」と訳されることもあるが、必ずしも完全な円や円で表現されるわけではない。リコダ」は、アミ族にとって超自然的な世界と対話するための重要な行動であり、そのステップと歌には、単なる音楽パフォーマンスではなく、特定の規範と意味があります。
また、Likoda'で使用される歌は伝統的な信仰において神聖なものであり、祖先の霊を引き寄せたり、混乱させたりすることを避けるために、Likoda'以外では歌われるべきではないとされています。
ilisin期間中は、malikoda'と呼ばれる人がおり、Likoda'の最中、歌などを担当するリーダーの事です。三日間行われる豊年祭の会場の中央にいるのがmalikoda'で、最近では青年階層が担当しています。
◆Miholol(慰問喪家:弔問)
平素はこの言葉の本来の意味は「訪問、挨拶」ですが、ilisin期間中は「遺族へのお悔やみ」を意味します。過去 1 年間に階層のメンバーが亡くなった場合、そのメンバーが所属する階層はilisin期間中に亡くなったメンバーの家族を弔問し、友情と思いやりを表します。
Ilisin 第二日
◆Patakos no Kiwit(奇美報訊息:奇美部落からの宣言)
太巴塱部落で行われる ilisin の二日目の朝、奇美部落の青年達が太巴塱部落に到着します。到着したい一行は、太巴塱部落の頭目の家の前で、「奇美部落も ilisinを行います」と宣言。これに対し、太巴塱頭目の訓示と太巴塱部落の青年達が酒などで接待します。この活動はお昼前には終わります。
◆Pakomod(給予勇氣:勇気を与える)
太巴塱 ilisinの二日目の午後、年少階層の人々が年長階層の人々を訪問してアドバイスを求めたり、年長階層から教えを受けたりします。
Ilisin 第三日
◆Miondong(運動会)
太巴塱 ilisinの三日目の午前から午後にかけて、部落内のあらゆる年齢の住民がチームを結成し、性別等々関係なく競技会を楽しみます、青年部では綱引き大会が開催されます。
◆Milidofot(情人之夜:恋人の夜)
Milidofotは「バッグを掴む・引く」という意味です。太巴塱ilisin ilisin三日目の夜、太巴塱のあらゆる階層の若者が舞祭場の中心で小指で手を握り、milidofotの独特の儀式歌を歌います。このとき、若い女性たちは家族の女性の長老に導かれて踊りの儀式に参加します。好みの男性の若者を選んだ後(この際、必ず、一緒に参加している長老の許可が必要です)、その若者は踊りの輪から引き抜かれ、dofot(伝統的な阿美族のバッグ)を交換します。 (このバックを「情人(恋人)袋」と呼ぶ由来はここにあります)そして、再び踊りの輪に戻ります。これをmalikoda'と言います。
現在では、一般的に自由恋愛が広まっており、昔の様な習慣は少なくなりました。
Ilisin 第四日
Palimo(敬酒祈福:酒を振舞う)
太巴塱Ilisinの四日目の午後に行われます。阿美族は母系社会のため、たとえ男性が公務を支配していても、家庭内での発言権は比較的弱い立場にあります。Palimoは、家族の女性が男性を慰める行事です。Palimoの数か月前に、部落の女性たちが麹を培養し(これをtamodと呼びます)儀式に必要なもち米酒 ('ecaw/'eraw) を醸造します。Palimoでは、部落の女性たちがmalikoda'と呼ばれる小さな円を組んで各階層ごとに集まり、大切な家族や男性の長老にもち米酒を振舞います。
◆Misapatoronan(送靈:お見送り)
Palimo の儀式が終わると、Misapatoronan(お見送り)が始まります、これは、ilisinでお迎えした先祖の霊をお見送りする儀式で、各階層の選ばれた少人数の人々が祖先の霊を Saksakayまでお見送りします。 Ilisinの 超自然的な儀式の終わりを意味します。
◆Misawsaw(洗淨式/清め式)
太巴塱ilisin四日目の午後、Palimo終了後に行われます、内容は、翌日のMali'alacに似ており、Misawsawは、翌日まで滞在できない部族の人々のために、早めに行うお清めの儀式となります。
Ilisin 第五日
◆Mali'alac(洗淨式/脫聖返俗:清め式/世俗の世界に戻る)
太巴塱 ilisin の五日目に行います。俗に「脫聖返俗:世俗の世界に戻る」という意味を持ちます。阿美族の伝統的な精神観では、儀式は「人間界」と「超自然界kawakawasan 」が一時的な重なり合う事を意味しており、ilisinは時間と空間を越えた儀式とされています、この期間中は魚を食べることは禁止されています。その理由としては、二つの説があり、魚の匂いは神にとって生臭すぎるという説と、水生魚と陸生人間は別の世界に住んでいるためという説があります。魚を食べるということは、身体が「世界を変える」ことを暗示していると言われています。Ilisin期間中は特別な世界にいるため、それを妨げられない様にするために、魚は食べないとされています)。ilisinが終わると、人々は「儀式は終わり、人間の世界と超自然的な領域は再び分離されたので、魚を食べても神を怒らせたり、神を妨げたりすることはない」という事を示すために「魚を食べる」という行動をします。"漁を行ったり、魚を釣ったり、魚を調理する行動をMali'alacと呼びます。
また、ilisin期間中に各階層が食べた残りの豚骨もこの時に集められ、豚骨スープにして調理されます。この儀式はMisaokak(骨を調理する)と呼ばれます。
Ilisin 第六日
◆Pasafa(創立階層)
4~5年ごとに開催される儀式です。太巴塱の階層には「訓練生」であるpakarongay制度はなく、訓練を終えていない若者はすべて最も低い階層に属します。Pasafaとは、年齢や資格を満たした者がその階層から新たな階層を作るための儀式です。Pasafaの前に、候補者達は長老たちに新たな階層を作る資格があることを説得するために、十分な伝統的スキルと正しい民族的価値観を持っていることを証明する必要があります。Pasafaが確定した後、ilisinの夜に歓送迎会が開催され、新しい階層の長(mikomoday)と新しい階層の名称が竹占い(mi'edaw)によって占われます。Pasafaが認められ、新しい階層が完成すると、母階層の兄たちは新しい階層の弟たちを杖で鞭打ち、追い払います。これは、「愛の深さと責任」という伝統的なスパルタ教育スタイルを示していますが、決して敵対的または暴力的ではありません。
Pasafaという儀式は、男子の独り立ちを意味する重要な儀式であす。
Miwa'id
この儀式は、毎年5月に行われる儀式です。Sitelis(追悼と除霊の儀式)とmisalala'ocan(捕魚祭)を含めたもので、太巴塱の祭司(Sapalengaw)と青年階層によって執り行われます。Ilisinの最初に行う儀式で、昔はmiwa'idからIlisin終了まで先に述べましたあらゆる禁止とされている行為(食べ物制限や男女の関係)を続ける必要がありましたが、現在では一週間程度に短縮されました。
この様に、太巴塱部落の阿美族の人々は、どんなに時代が変わろうとも、自分達の大切な文化、習慣、言語を守り続け、後世へ伝承し続けているのです。
言語に関しても、太巴塱部落内には、阿美族Cilangasan部落学校を設け、阿美語の伝承をはじめ、阿美族の文化、習慣を伝承するための活動を続けています。
kakita’an祖屋の內部
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*Tzou 鄒仔, 《推》奇美到太巴塱報訊 patakos
*Tzou 鄒仔, 《推》太巴塱豐年祭情人之夜 Milidofot
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