東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編 壽神社跡(中山公園)、鯉魚潭 【花蓮縣壽豐郷】
【壽神社跡(中山公園)】
戦後、本殿、拝殿、鳥居、灯篭、狛犬等々はすべて取り壊されてしまい、中山公園として生まれ変わりました。しかし、注意して見てみると、灯篭の台座や、拝殿の基礎部分が残されており、また、中山公園正面入り口の階段は、当時の階段を再利用しています。かなりの急で長い階段を登ると、そこには拝殿があり、さらに数段高い場所に本殿がありました。今は、本殿のあった場所に、孫文像が立っています。
階段を登り切り振り返ると、昔の壽村が一望できます。丁度、正面に昔は壽工場がありました。今は訪れる人も少なく、寂しい感じがしますが、日本時代には、朝夕、神社を参拝する人が絶えなかったそうです。
【歴史の生き証人】
前章でもお話しをお聞かせくださった、伊是名秀良さんのお話し。
神輿を奉納すると、大人達が炊き出しをしてくれており、それを食べるのが楽しみでした。確か、豚汁だったと記憶しています。
【壽駅(現在の壽豐駅)秘話】
ちなみに、日本統治時代、台湾鉄道花東鉄路では5駅で名産品の販売が行われていました。花蓮港駅:花蓮薯 壽駅:壽寿司 白川駅:麻糬 玉里駅:羊羹 池上駅:おにぎり
日本統治時代は、壽村やその近辺に住んでいる日本人が夏になると、釣りや水遊びによく出かけた場所です。
地元の人たちは「大陂」、阿美族の人たちは「巴鬧」と呼んでいました。「鯉魚潭」の名称の由来には次の二つの説があります。
説2:この地で最も早くから生活していたタロコ族が、山頂から下を見たときに、湖の形が捕まえたばかりの鯉が飛び跳ねている形に見えたことから名前が付けられた。
毎年3~9月はホタルを見ることができます。
鯉魚潭の周りには4kmの一周道路が作られ、多種多様なレンタルサイクルも用意されています。筆者がお薦めなのは、ボート。貸しボート屋が並ぶ湖畔。夏の暑い時でも、湖の真ん中まで行けば、天然のクーラーと呼ばれる涼しい風が吹いてきます。
小腹が減った人、喉が渇いた人は、湖畔の対面にこれまた数多くのレストランが並んでいて、鯉魚潭名物のパパイヤミルクのスタンドが店の前に並んでいます。水を一切加えない本物のパパイヤミルク。都会で飲むパパイヤミルクとは比べものにならないほど濃厚で美味い。
何故、鯉魚潭でパパイヤミルクが有名かと言えば、元々、この周辺に店を開いた人が高雄からの移住者だったことに関係しています。高雄から移住してきた人達が、花蓮のパパイヤが高雄のパパイヤよりも濃厚で、甘く、美味しいことから、高雄でも有名だったパパイヤミルクを作り、売り始めたと言われています。
鯉魚潭へ行ったならば、ボートに乗って、パパイヤミルクを飲まないと、行った意味がありません。
夏場は鯉魚潭に大きな「紅面鴨」という愛称で親しまれている花蓮のマスコットが勢ぞろいし、夜には噴水ショーも開催されます。
【参考資料】
*山下部落ホームページ 2014.11.12 壽神社
*花東縦谷國家風景區ホームページ 鯉魚潭
*廖高仁著 悦讀日本官營移民村
*鯉魚潭:花蓮縣壽豐鄉池南村環潭北路100號付近一帯 花蓮駅よりバス有り
*壽神社跡(中山公園):花蓮縣壽豐郷山邉路三段 台湾鉄道 壽豊駅より徒歩20分
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