東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編 壽神社跡(中山公園)、鯉魚潭 【花蓮縣壽豐郷】

 【壽神社跡(中山公園)】

 壽神社は、1932年(昭和7年)、当時の壽公学校校長の中島真澄先生より壽神社建立に関する提案があり、第二監視区監督の古賀民助警部補、鹽水港製糖株式会社花蓮港製糖所の松原徹所長、壽区役場の野口佐次郎区長、地元有志、そして、各部落の頭目の賛助を得て、建立された神社です。

戦後、本殿、拝殿、鳥居、灯篭、狛犬等々はすべて取り壊されてしまい、中山公園として生まれ変わりました。しかし、注意して見てみると、灯篭の台座や、拝殿の基礎部分が残されており、また、中山公園正面入り口の階段は、当時の階段を再利用しています。かなりの急で長い階段を登ると、そこには拝殿があり、さらに数段高い場所に本殿がありました。今は、本殿のあった場所に、孫文像が立っています。

階段を登り切り振り返ると、昔の壽村が一望できます。丁度、正面に昔は壽工場がありました。今は訪れる人も少なく、寂しい感じがしますが、日本時代には、朝夕、神社を参拝する人が絶えなかったそうです。

 

【歴史の生き証人】

前章でもお話しをお聞かせくださった、伊是名秀良さんのお話し。

 「夏になると、壽尋常小学校から子供神輿が出て、最終、この長い階段を登って本殿前まで来ます。子供にとってはこの最後の階段がもっとも辛い場所で、階段の脇には大人達が懸命に声援を送っていました。その大人達は、日本人のみならず、台湾人、原住民(阿美族)の人達が一緒になって声援を送ってくれ、最後の力を振り絞って皆で神輿を担ぎながら一気にこの長い階段を登って行くと、大人達から万歳三唱を受けました。

神輿を奉納すると、大人達が炊き出しをしてくれており、それを食べるのが楽しみでした。確か、豚汁だったと記憶しています。

 壽尋常(国民)小学校の児童である日本人生徒にとって、最大のライバルは壽公学校の児童でした。壽公学校の児童には原住民(阿美族)が多く、運動神経は抜群で、スポーツに関してはいつも私達が完敗でした。他の学校ではどうだったか知りませんが、私達壽尋常(国民)小学校と壽公学校とは、交流の機会も多く、結構、仲良く遊んでいましたね。」と語って下さり、壽神社跡(中山公園)の最上段から昔の壽村を思い出すように、懐かし気にいつまでも眺めておられました。

 

【壽駅(現在の壽豐駅)秘話】

 1914年、壽駅の前に食品工場が出来ました。工場の煙突は壽駅のシンボルにもなっていました。煙突からは美味しそうな香りが漂い、壽駅に到着すると乗客は思わず深呼吸したくなるほどの香りでした。実はこの工場、駅弁工場だったのです。壽駅の名物は「壽 寿司」だったそうです。

ちなみに、日本統治時代、台湾鉄道花東鉄路では5駅で名産品の販売が行われていました。花蓮港駅:花蓮薯  壽駅:壽寿司  白川駅:麻  玉里駅:羊羹  池上駅:おにぎり

 

 【鯉魚潭】

 鯉魚潭は、南北が約16キロ、東西は約930メートルの台湾東部最大の淡水湖です。花東縦谷国家風景区の最北端に位置し、木瓜渓と花蓮渓の支流によって形成された堰止湖です。面積は約104ヘクタールで湖水は地底からも湧き出ており、年中澄んでいます。

日本統治時代は、壽村やその近辺に住んでいる日本人が夏になると、釣りや水遊びによく出かけた場所です。

地元の人たちは「大陂」、阿美族の人たちは「巴鬧」と呼んでいました。「鯉魚潭」の名称の由来には次の二つの説があります。

 説1:隣接する山が鯉の形に似ていることから、山と湖に鯉の名前が付けられた。

説2:この地で最も早くから生活していたタロコ族が、山頂から下を見たときに、湖の形が捕まえたばかりの鯉が飛び跳ねている形に見えたことから名前が付けられた。

毎年39月はホタルを見ることができます。

鯉魚潭の周りには4kmの一周道路が作られ、多種多様なレンタルサイクルも用意されています。筆者がお薦めなのは、ボート。貸しボート屋が並ぶ湖畔。夏の暑い時でも、湖の真ん中まで行けば、天然のクーラーと呼ばれる涼しい風が吹いてきます。

小腹が減った人、喉が渇いた人は、湖畔の対面にこれまた数多くのレストランが並んでいて、鯉魚潭名物のパパイヤミルクのスタンドが店の前に並んでいます。水を一切加えない本物のパパイヤミルク。都会で飲むパパイヤミルクとは比べものにならないほど濃厚で美味い。

何故、鯉魚潭でパパイヤミルクが有名かと言えば、元々、この周辺に店を開いた人が高雄からの移住者だったことに関係しています。高雄から移住してきた人達が、花蓮のパパイヤが高雄のパパイヤよりも濃厚で、甘く、美味しいことから、高雄でも有名だったパパイヤミルクを作り、売り始めたと言われています。

鯉魚潭へ行ったならば、ボートに乗って、パパイヤミルクを飲まないと、行った意味がありません。

夏場は鯉魚潭に大きな「紅面鴨」という愛称で親しまれている花蓮のマスコットが勢ぞろいし、夜には噴水ショーも開催されます。


壽神社への階段(当時のまま今も利用されています)


壽神社本殿跡


鯉魚潭に勢ぞろいした紅面鴨
 


【参考資料】

*山下部落ホームページ 2014.11.12 壽神社

*花東縦谷國家風景區ホームページ 鯉魚潭

*廖高仁著 悦讀日本官營移民村 

 

*鯉魚潭:花蓮縣壽豐鄉池南村環潭北路100號付近一帯 花蓮駅よりバス有り

*壽神社跡(中山公園):花蓮縣壽豐郷山邉路三段 台湾鉄道 壽豊駅より徒歩20分

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