東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編 旧花蓮港駅前広場附近 (鉄道文化園、重慶市場、東大門夜市、石藝大街)【花蓮縣花蓮市】

 人口31.87 (20233)の花蓮県。その内、約10万人(20233月)が花蓮市に住んでいます。花蓮市の中心街は、中山路・中正路の交差点付近一帯。ここは日本時代から繁華街として栄えた街です。

 日本統治時代、花蓮に初めての鉄道の駅が完成しました。当時は花蓮港駅と呼ばれており、駅は今の花蓮駅とは逆の海側にあったため、花蓮の街は、海側から開けていったのです。

 1908年、日本の国会は花蓮・台東間の鉄道と道路の建設許可を出しました。当時の常識では、一旦、台湾総督府を通して建設費用は送金されるのですが、この工事に関しては、日本から直接「鉄道部花蓮出張所」へと送金されたため、同出張所は、当時の地位では、台湾東部の小鉄道部と呼ばれていました。1910年に花蓮港駅が開業しました。開業後は、花蓮港駅周辺には旅館、市場、運輸会社、新聞社、飲食店等々が出来、繁栄を遂げていったのです。

駅前には、鉄道関係者の官舎、鉄道病院、事務所、鉄道保安用の工場が設けられました。戦争中、アメリカ軍の爆撃を受けた駅舎も、戦後の1949年には再建されました。

197927日の和平駅から花蓮新駅までの北廻線の部分開通、さらに、翌年の21日の蘇澳新駅から花蓮新駅までの全線開通に伴い、198271日、花蓮港駅は廃止、19929月には駅舎も撤去されてしまったのです。出来れば駅舎はそのまま保存して欲しかったというのが、筆者の素直な感想です。

今の中山路・重慶路の交差点付近が花蓮港駅前広場となります。

現在、この旧駅前広場には、東洋で一番大きな御影石の球体が水の力によって回るという噴水があります。その前には、古びた宿(金龍大旅行社)がありますが、日本時代は、この場所に「常盤館」という高級旅館が建っていました。

旧花蓮港駅の駅舎そのものは撤去されましたが、「花蓮鉄道文化エリア(鉄道文化園区)」として、当時の鉄道員の事務所並びに保安用の工場が今も保存され、展示されています。鉄道ファンならずとも、是非、見学して頂きたい場所です。昔懐かしい道具や機具が数多く展示されている他、日本統治時代の花蓮の街の様子を写真パネル展示されています。

この鉄道文化園区、実は取り壊しの話が浮上していましたが、2002年、文化局、鉄道局、文学史の学者、そして、地元住民たちによる保存運動が起こり、20029月に、花蓮県歴史建築として登録されたという経緯があります。また、2014年には当時の花形蒸気機関車の現物も安置されました。

その旧花蓮港駅前広場の東側(海側)に目をやると大きな門だが見えます。こちらが東大門夜市。以前花蓮では、福町夜市、自強夜市、南濱夜市、彩虹夜市がありましたが、201571日に旧花蓮港駅前広場東台湾最大の夜市、東大門夜市が完成し、4か所の夜市はここに集約されました。3本の通りがあり、東側が原住民一條通(原住民通り)、北側が福町夜市(台湾人通り)、南側が各省一條通(大陸通り)という形でオープンしました。20244月の花蓮大地震前までは、年間約300万人近い人々が訪れていました。

東大門夜市の各省一條通り西門を出ると石藝大街があります。ここは日本統治時代、花蓮港鉄道病院があった場所です。

1909年(明治42年)、日本で、鉄道関係の職員のための「鉄道職員共済組合」が設立されました。

1935年(昭和10年)、「鉄道共済組合」の事業として、台湾の台北、松山、花蓮港(現花蓮市)、彰化に専門の医師を配属し、診療所を開設したのです。

 花蓮鉄道病院は、1936125日に「鉄道職員共済組合医療部花蓮港診療所」として、当時の花蓮港廰鉄道部處長官邸の右側に開院しました。(現在の、更生日報本社ビル前の広場。花蓮港廰鉄道部處長官邸は現在も保存されています。)

その後、1940年(昭和15年)に、現在、石藝大街となっている場所へと移転し、「花蓮港鉄道病院」となり、当時の花蓮港市では花蓮港病院(現在の花蓮病院)とならぶ、2大病院として医療活動を行っていました。建物はコの字に建っており、前棟が各科の診療室、後棟が病室となっていました。

戦後も病院として使われていたが、1983228日、資金難となり閉院となり、その後、2003年に、花蓮県手工芸協会が借り受けることになり、現在の石藝大街として生まれ変わったのです。

病院の正面玄関は今でも残されています。

一方、花蓮市の朝市はというと、20153月までは重慶路・自由街の交差点を中心に、路上に数多くの簡易店舗が広がり、台湾らしい趣のある朝市が並んでいました。これは日本統治時代からあった朝市でした。しかし、国際観光地として清潔で、見た目も良い感じにしなければという当時の縣長(知事)の考えで、重慶市場という大きな建物を建て、全ての朝市をその建物の中へと押し込みました。

筆者としては、観光地だからこそ、昔の趣を残すべきだった。誠に残念な結果だと思っています。

重慶市場の中には、生鮮食料品、衣料品、雑貨等々、なんでも売っている。朝食屋もある。豚肉を売っている横で洋服を売っているという台湾の市場でよく見かける光景がここでも見ることが出来る。魚や野菜も種類が多い。朝7時頃からは一般のお客様も買い物に来るので、市場内は活気にあふれています。

日本統治時代の花蓮の街のにぎわいを想像しながら、是非、散策して頂きたい場所である。

 

【花蓮港駅 秘話】

文中でも述べましたが、花蓮港駅建設に関しては、台湾総督府を飛び越えて、日本から直接「鉄道部花蓮出張所」へと建設費用が送金されました。この異例な手順に関しては諸説ありますが、その中の一つの説として、賀田金三郎氏が後藤新平民政長官に対し、進言したという説もあります。その理由としては、当時、賀田氏は自身が開村した台湾初の日本人移民村「賀田村」の運営が思うように進んでおらず、その理由について詳細に分析を始めていました。これは、後に国営第一号となる日本人移民村・吉野村開村に大いに役に立ったのですが、その理由の一つに、鉄道、道路の建設が急務である事を訴えていました。

国営移民村開村準備に入っていた日本国および台湾総督府としては、賀田氏の助言を聞き入れ、少しでも無駄な事務処理を省き、一刻も早く、鉄道、道路を完成させる必要があったとされています。そのために、日本よりの送金は直接、鉄道部花蓮出張所に送金されたとも言われています。

 

明治44年当時の花蓮港駅(trstour.comより引用)

昭和6年当時の花蓮港駅(trstour.comより引用)

当時の蒸気機関車(伊藤茂雄氏提供)


                2015年の花蓮駅


現在の花蓮駅


日本統治時代に花蓮港駅前にあった高級旅館「常盤館」

故国田宏氏提供

東洋一の大きさを誇る御影石の玉

                 東大門夜市の地図


東大門夜市

                    重慶市場




 *鉄道文化園1館:花蓮市中山路71号 月曜日休館日

         Am8:30-12:00  pm13:00-17:00

*鉄道文化園2館:花蓮市博愛街2435号 月曜日休館日

         Am8:30-12:00  pm13:00-17:00

*重慶市場:花蓮市明義街1號 (東大門夜市の南側)

*花蓮港鉄道病院跡(石藝大街):花蓮市廣東街326號(重慶路・博愛街)

 開放時間          每日14:00~22:30

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