東台湾の歴史を巡る旅 花蓮編 老街新城 【花蓮縣新城郷】
【新城村】
前章でご紹介した新城社は新城村の西の外れに位置します。
新城村の東側は太平洋。街自体は非常に小さな街ですが、街中には日本統治時代に建てられた民家が今でも残されています。その数は年々減ってはいますが、古き良き時代の日本がそこにあります。
まず新城の歴史についてご説明しましょう。
新城郷はその昔、太魯閣(タロコ)族の言葉(太魯閣語)で「タロワン」と呼ばれていました。その後、漢人によって「哆囉満」或いは「倒咯満」と表されるようになりました。清の嘉慶年間、淡水の呉全がこの地に入植を開始しましたが、太魯閣族からの襲撃を受け、入植者達は耕地を放棄し、花蓮南部に移住して行きました。(呉全は現在の花蓮縣壽豐郷に呉全城と名付けた村を作り始めましたが、石垣を作っている段階で原住民達からの襲撃を受け、結局は、村を作ることなく退散しました。その後、日本統治時代に、山口県萩市出身の実業家である賀田金三郎が花蓮に渡り、呉全の残した場所を拠点として東台湾開拓を開始。呉全城附近には、台湾初の日本人移民村賀田村を開村しました。)
明治8年(1875年)、福建陸路提督の羅大春が兵を率いて蘇澳から花蓮に至る道路を建設し、この地に城を築いたことから現在の地名である「新城」と称されるようになりました。日本統治時代になった1914年(大正3年)、第五代台湾総督の佐久間左馬太が、警察隊、軍隊を出動させ、首狩り族として恐れられていた太魯閣族の討伐を行い、勝利を治めました。花蓮港廳は、新城支廳を設置、1920年(大正9年)の台湾地方改制の際に、佐久間総督の功績を称え、彼の号である「研海」を採用して「研海支廳」と改名しました。昭和12年(1937年)には、「研海庄」と改称され、花蓮港廳花蓮郡の管轄とされたのです。戦後、「新城」の旧名が復活し、花蓮県新城郷と改編され現在に至っています。
5月中旬から7月上旬に新城村を訪れた人には必ず行って欲しい場所があります。それは「仁愛路」。ここの街路樹を見て驚いて頂きたい。なんと、日本では高級フルーツとされているマンゴーの街路樹です。信じられない光景です。マンゴーが鈴なりに実っています。さらには、ビワに柿に龍眼に蓮霧まで。すべて街路樹です。でも、勝手に獲ってはいけません。あくまでも所有者は新城郷役場。ただし、地元の人と仲良くなれば、笑顔で「美味しいよ」とその場でもぎ取ってくれることがあるかも。
さらにその先を東に向かって歩いていると、右手に見えてくるのが「佳興冰果室」。ここの「佳興檸檬汁」というレモンジュースは絶品です。以前は日本統治時代の日本家屋を改装したお店でしたが、2023年に火事で焼失してしまいました。今は同じ場所に新しいお店をオープンしています。
新城警察の前に、古い空き家があります。ここは、日本統治時代は移民指導所であり、役場だった場所です。戦後は新城警察の署長の官舎として使われていましたが、今は、廃墟になっています。
博愛路の「山海百貨」は飲食店やお土産ショップなどが入っており、同じく博愛路の「半天紅」は牛肉麺のお店。看板メニューは「麻辣牛肉麵」という辛い牛肉麺ですが、一度食べると病みつきになる美味さ。同じく博愛路の「魯冰食堂」は海鮮麺のお店。看板メニューは「痛風海鮮麵」という様々な魚介類が入った豪華な麺で、味はあっさり系です。デザート系でお薦めなのが、中山路の「豆花兒」。台湾名物の豆花を味わえます。
旅に出たら、その街をブラブラする事も楽しいですよ。昔懐かしい雑貨店や、薬局と釣具屋が一体になったお店、八百屋?魚屋?雑貨屋?なんだかよくわからないお店などなど、思わず笑ってしまうお店もあります。
小さな新城街。ゆっくり散策しても1時間ほどで周れます。是非、新城村の散策、時間を作ってみてください。
営業時間:10:00~20:00(月曜定休)
佳興冰菓室:花蓮縣新城郷博愛路22號
営業時間:8:00~17:00(無休)
半天紅:花蓮縣新城郷博愛路9號
営業時間:11:00~14:30、17:00~20:00(土日は11:00~15:00、17:00~20:00、火曜定休)
山海百貨:花蓮縣新城郷博愛路39號
営業時間:10:00~18:00(無休)
豆花兒:花蓮縣新城郷中山路39號
営業時間:11:00~18:00(水曜定休)
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