台湾近代化のポラリス 潮汕鉄道1
仕事が一段落つき、今日も台北市書院街の賀田組事務所2階には、若手従業員達の間では兄貴的存在の菊地、菊地より2歳年下で、菊地の補佐役的存在の青木、そして、中学を卒業したばかりの最年少の森をはじめ、大勢の若手が集まっていた。
彼らの仕事終わりの楽しみは、社長である賀田金三郎から、日本が台湾を統治してからの様々な歴史的事象を聴くことだった。
しばらくすると賀田が2階へと上がって来た。そして、いつもの様に、窓際の中央に置かれた椅子に腰を掛け、まずは、森が入れてくれたお茶を飲んだ。
「森君、今日も美味しいお茶をありがとう。」と賀田が眼を細めて森に礼を言うと森は照れ臭そうに頭をかきながら笑った。
「さて、諸君は潮汕鉄道(ちょうせんてつどう)を知っているかな?」と問いかけた。
菊地が「広東省の汕頭と潮州を結んだ鉄道のことですよね」と答えた。菊地の横に座っていた森は羨望のまなざしで「菊地さんって本当に何でも知っていますね」と感心した。
賀田は「その通りだよ。日清戦争以後日本は中国大陸に対し、商工業の進出をはかると同時に鉄道建設による利権確保を図ろうとしていた。ただ進出にあたり列強であるイギリスとの衝突は極力回避しなければならない。福建省は、イギリスの勢力が弱く、既に植民地化していた台湾の対岸にあたる。福建省は、日本の中国大陸における鉄道建設計画の最初の目標地になり、この潮汕鉄道ができた。
同鉄道は中国大陸における日本の最初期の鉄道建設の起点であるとともに、中国(清王朝末期)における最初の自立した鉄道建設例である。台湾の歴史からすれば潮汕鉄道は、台湾総督府の「対岸経営」の実行機関である三五公司の事業のうち、福建省における樟脳専売事業とならぶ二大事業であった。
実はこの鉄道が完成するまでにはいくつかの密約と様々な根回しが水面下で行われた。
この鉄道計画に絡んだ重要人物としては、後藤長官をはじめ、三五公司の愛久澤直哉,台湾総督府専売局の祝辰巳局長,参事官の石塚英蔵氏,外務大臣の小村寿太郎大臣,政務局の山座円次郎局長,駐清国公使内田康哉公使,つまり民間企業,台湾総統府,外務省の三者協力の下,商部大臣戴振の協力を得て,上意下達の形式で実行されたものなのだよ。
そしてもう一人、鉄道と言えばやはり、長谷川謹介先生の存在を忘れてはならない。実は、この事業成功の裏には、長谷川先生の意外な一面が決め手となったといっても過言ではないのだよ。」と言うと森が「長谷川先生の意外な一面?へー、何だか今日の話は面白そう」と手を叩きながら喜んだ。
その様子をみた賀田は笑いながら「この事業を遂行する上では、日本側が種々干渉の方法を駆使し,最終的に清国への経済的侵略を進めた訳だが、なかなか複雑な話なので、少し時間をかけて話していこうと思う。」と言ったところで再び森が「えー、複雑な話になるのですか・・・・。僕の頭で理解出来るかなあ・・・・。」と今度は不安そうな顔に変わっていた。
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