台湾近代化のポラリス 西郷菊次郎の決断

 台湾総督府民政局局長室の扉を開けて入ってきたのは宜蘭廰長の西郷菊次郎であった。

後藤新平は満面の笑みを浮かべながら西郷を迎え入れた。後藤は「今日はわざわざご足労願って申し訳なかった。本来であるならば私の方から出向くべきところを」と言うと「滅相もございません。この様に後藤局長とお会い出来る事、この西郷、光栄に思っております」とやや緊張した面持ちで答えた。

しばらくは近況報告を聞いたり、世間話をしていたが、後藤が急に真剣な表情に変わり話し始めた。

「西郷さんもご存知の様に、我が国が台湾を統治してから匪賊、土匪達を制圧するために3年近くの時間を費やしている。台湾は清の時代から「三年小叛、五年大叛」という言葉があった。当時の政府に対して 3 年に一度は小さな反乱が、5 年に一度は大きな反乱が起こることからそう言われていた。我が国統治後も同じ、いや、それ以上に抗日派の活動が活発になっている。

そのために、大規模な武力行使が必要となり、大勢の犠牲が出ると共に、予想以上の金が必要となり総督府の財政を圧迫している。治安の確保、すなわち、人々の民心が安定しない限り、社会としての統合政策は進まず、結局、徴税活動も停滞し、総督府は巨額な財政赤字に陥っているというの現状だ。

統治以降、樺山総督、桂総督、乃木総督達は「台湾は軍人が取ってきた戦利品」であるという考えが強かった。そのため、軍事を優先し、台湾内政などはほとんど念頭になかった。また、抗日事件が連続し、海外諸国からも日本政府の植民地経営能力が疑われるようになった。さらには、台湾には 「痺瘤(しょうれい)の地」(A) というイメージが刻印され、ペストやマラリ アなどの伝染病が恐れられていたこともあり、台湾勤務はあたかも 「島流し」「左遷」のような地方勤務とみなされている。人に台湾に行かぬかと言えば真つ平御免だと言うて皆腰を抜かしてしまう有様だ。 西洋に行った人は二年か三年も居て国に帰れば威張ることが出来る。ところが台湾へ官吏が転任したときには「再び昇進の途がない、彼は台湾に行ったから駄目だ」と言われる始末だ。だから台湾勤務は不人気で、官吏の士気やモラルは低く「人民をして政府に悦服させる」という威信を示せるような状況ではない。

私は何としてでもこの状況を打開し、台湾を内地同様、いや、それ以上の場所にしたいと考えている。そのためにはまず、土匪問題を早急に解決する必要がある。」

西郷は「長官には何か秘策がございますか」と聞くと後藤は間髪入れず「ある」と答えた。「是非、お聞かせください」と西郷は後藤の方へ身を乗り出し尋ねた。

「軍政ではなく民政によって台湾を掌握すべきである。今までのやり方は生物学的見地からしても完全に間違った方向性を突き進んでいる。」

「生物学的見地?」と西郷は不思議そうな顔をしてつぶやいた。後藤は聞こえていたのかいないのか、話を続けた。

「政治の妙諦は、なにも難しいことではない。生物学の原則に従って、その基底的事物を究め、これに順応する方策を緩急、時に応じて施行するのみ。それにはまず、その土地に現存保有される慣習制度を根本的に調査究明してかからなければならないのだよ。すなわち、簡単に言えば、まずは「相手を知る」という事だ。相手を知らずに、ただただ武力のみで服従させようと思っても、それは逆に反感をかうだけで、根本的な解決にはならない。

そこでだ、まずは、相手が何を望んでいるのかを徹底的に調査した。その結果、私は、4つの条件を彼らに提示し、帰順する様にしたいと思っている。」

そう言って後藤はスーツの内ポケットから例のメモを取り出した。児玉総督に提案した際のメモ書きである。後藤はそのメモを西郷に渡した。西郷はメモに書かれた内容を穴が空く様に読んだ。そして大きくうなずき「長官、これです。これを私も望んでおりました。長官のおっしゃる様に、力ずくで相手をねじ伏せるやり方は何の解決にもなりません。不満分子を増やすだけです。一つ一つの不満分子は小さくても、それが集まれば強大な力となり、その結果、大勢の尊い命が奪われるだけです。是非、この方向で進めて頂ければ有難いです。私も微力ながらお手伝いさせて頂きます。」

最後の一言を聞いた後藤はこれまた間髪入れずに切り出した。「西郷さん、あなたに交渉役をお願いしたい。この交渉役を務められるのは西郷さん、あなた以外にはいないのだ。ただし、これは命令ではない。この任務は、命令されたからやるというのでは絶対に成功はしない。余程の強い意志を持って臨まないと成功しない任務だ。命の保証もない、極めて厳しい任務となる。」

そう言って後藤は西郷の顔を見た。西郷は眼を輝かせながら一言「私にお任せください」と答えた。


(A)痺瘤(しょうれい)の地:マラリアなど、特殊の気候や風土によって起こる伝染性の熱病     

              が蔓延する地


                  西郷菊次郎

            (さつま町宮之城歴史資料センターより)



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