台湾近代化のポラリス 台北三線道路

 「台湾における上下水道整備に関する話はこれで終わりだ。後藤長官とバートン先生、浜野先生が心を一つにして、同じ目標に向かって突き進まれた結果、我々は今こうして、安心して水を使うことが出来ていることを忘れないで欲しい。」と賀田金三郎が、集まった賀田組若手従業員達を見渡しながら言った。最年少の森が「社長、私たちが普段、何気なく使っている水がこれほどまでの苦労があったとは知りませんでした。これからは、水道を使う時はまず、蛇口に一礼する様にします。」と真顔で言うと、一同は大笑いした。賀田も笑いながら「森君、その気持ちは大切にしなさい」と言った。

今度は菊地が賀田に対して、「社長、後藤長官は、他にどの様な事をされたのですか?」と尋ねた。賀田は「後藤長官の台湾でのご功績はまだまだ沢山ある。全てを知りたいかね。」と菊地の方をみて言うと、「是非、お願いします。」と返答すると、集まっていた他の従業員達も口々に「聴きたいです」「知りたいです」と言った。

賀田は「わかった、わかった。」と言い、「それでは後藤長官の都市計画の内、道路について話をしよう。」と言った。

「明治31年(1898年)4月に、台湾総督府内に台北市区改正委員会が設置された。その後、調査が開始され、審議が行われ、明治38年(1905年)7月に台北市区改正規画方針が決定された。

この方針では、後藤長官が実施された人口調査や土地調査などの結果を踏まえ、当時、月平均2.5%づつ人口が増加すると予測を立て、25年後には人口15万人になると想定。その際の人口密度を計算して出されたものだった。」これを聞いていた従業員達は一同に感心したように声をあげた。そして「25年後を想定しての計画だなんて、さすが後藤長官だよなあ」と菊地が眼を丸くして言った。

賀田は話を続けた。「台北市の街路に関しては、台北市が南北に細長いため、南北を幹線道路とし、大稲捏と城内を結ぶ東西の幹線道路を帰順として、街区は80間X40間の長方形とした。元々台北には城壁があったのだが、それを取り壊し、そこに道路を作った。

実は、この道路だが、正確に東西南北を向いている訳ではないのだよ。北東約20度傾いている。これには2つの意味があって、一つは清朝時代に風水を考慮してあえて北東に傾いた方向で城壁を作った。城壁を取り壊し、新たな道路を作る際に、この傾きを直しことも考えられたが、各街区の風通しを良くし、光を十分に受けられるようにするために、あえて直さなかったそうだ。

この道路建設にあたり後藤長官は、「パリのシャンゼリーゼ通りのように」とご指示されたそうだ。留学の際にご覧になったシャンゼリーゼ通りの美しさに感動され、是非、日本にも取り入れたいとお考えになった様で、そのお考えを台北の道路建設の際にも取り入れようとされたのだろう。実際、道路は君たちもよく知っている様に、中央の車道とその両側に歩道をもち、それらを街路樹で仕切る形態をとっている。三線道路と呼ばれているが私個人的には「公園道路」という表現の方が好きだ。その方が、後藤長官が目指されていたシャンゼリーゼ通りに似ている様に思うからね。

道幅は狭いところで25間(45.5メートル)、広いところでは45間(81.8メートル)もある立派な道路だ。

さらに、城壁を取り壊した際、西壁に付属していた西門は撤去されてしまったが、北門、小南門、南門、東門は城壁撤去後も残すようにと児玉源太郎総督と後藤長官は指示されたそうだ。今ではこの4つの門が台北の顔になっている。」と賀田が話し終えると菊地が「後藤長官は、単に、道路を広くするというお考えではなく、如何に、そこに住む人達が気持ちよく過ごせるかまでをお考えになって都市計画を行われたのですね。」と大いに感心した様子で言った。

賀田は「後藤長官とお会いした際におっしゃっていたのが、『賀田君、私が台湾で行った都市計画事業は全て衛生事業なのだよ。道路と衛生、一見全く無関係に思えるかも知れんが、両者には深い関係性がある。鉄道もしかり、湾岸整備もしかり。全て、人間が健康的に生きていく上で必要不可欠な事業。すなわち、衛生事業なのだ。生物学の原則を基本にすべての事業を考えれば、自ずと、やるべきこと、あるべき姿が見えてくる』と。私も、後藤長官のあらゆる事業に参加させて頂いたが、常に、この言葉の重みを肝に銘じて参加させてもらっていた。」と語った。

 

台北三線路 台灣日本時代舊照片より


【参考文献】

五島寧 「日本統治下の台北城内の街区形成に関する研究」『土木史研究』

川本義海; 田辺毅; 川上洋司 「台北市中心部の街路評価」『福井大学工学部研究報告』、福井大学工学部、

越沢明 「台北の都市計画,18951945-日本統治期台湾の都市計画」『第7回日本土木史研究発表会論文集』、土木学会

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