台湾近代化のポラリス 台湾上下水道物語1

 阿片政策の話を聞き終えた賀田組若手従業員の面々は、次にどの様な話が聞けるのか楽しみでしかなかった。

賀田組社長の賀田金三郎は用意されていたお茶を一口飲むと、その湯呑を眺めながら話し始めた。

「今、こうしてお茶を手軽に飲めるのも、安心して飲める水があるからだ。この水は、後藤新平長官がいらっしゃったからこそ、この台湾の地でも安心して飲めるようになった。私が台湾に来た頃は、この台北はほとんどが沼地で、河川は濁度が高いことから灌漑用とされ、生活用水は地下水や湧水を水源として、井戸や石樋水道が使用されていた。民家の衛生状況は極めて劣悪であり、住居には畳というものがなく、土間か板敷、せいぜいゴザがある位。テーブルを運んでこれをベッドの代用にするという状況だった。入口に下水溝があるのでその不清潔さは想像を絶するものだった。飯を食べようとすれば蠅や蚊がわーっと集まって真っ黒になるというひどいものだった。

だから、当時の台湾はコレラ以外にも、オランダ統治時代から猛威を振るっていた風土病も深刻な問題だった。日本統治後は、ペストにマラリアも大流行した。乃木希典台湾総督のお母上もマラリアで命を落とされた。正に、当時の台湾は悪疫病の見本市さながらだった。

後藤長官は医師であられるので、先の阿片もそうだが、台湾を健康体にするためには、上下水道の整備は急務だとお考えになったのだよ。」

と言うと、菊地が「社長、そもそも水道っていつ頃からあるものなのですか」と尋ねた。これに対し賀田は、「水道の歴史は古いぞ。水道というものが出来る前は、地下水、すなわち井戸を利用していたが、これは世界では四大文明の時代、日本では弥生時代前期と言われている。

川や湖の表流水を市街地に引く水道へと発展したのは、世界では紀元前 28 世紀頃のエジプト王朝の銅管といわれている。日本では、室町時代後期(1545年)に戦国大名の北条氏康が建設した小田原早川上水が、最古の水道施設だ。また、日本で「水道」という名前で初めて布設されたのは、江戸小石川上水(1590年)となる。当時の江戸は海水混じりの地下水だったそうだ。徳川家康は良質な水を引くために、小田原早川上水を参考にして、小石川上水を開設した。当時の水道は木・石・竹から構成されていたそうだ。ただこの水道は、火事に弱く(木製のため)、さらに困ったのは、地表からの汚染が防げないために開国後にコレラが蔓延してしまったのだよ。そこで、ろ過した水を消毒した後、鉄管を通して圧力をかけて各家庭に配るという今の水道が誕生した。」と水道の歴史について賀田が語っていると、最年少の森が「社長って何でもよくご存じだなあ」と感心したように小声で言った。その声は賀田の耳にも届いており、賀田は笑いながら「まあ、全て後藤長官から教わったことなのだがね。」と言った。

すると今度は青木が「では、後藤長官は、どの様にしてこの水道技術を台湾に導入されたのですか?」と聞いてきた。

賀田は、「この事業には、重要なお方がお二人いる。一人目は、イギリス スコットランドご出身のウィリアム・キニンモンド・バートン(William Kinninmond Burton)先生と浜野弥四郎先生のお二人だ。
浜野先生は「台湾水道水の父」と呼ばれている方だよ。」とここまで話した段階で青木は驚きながら「外国の方が関わっているのですか。またどうしてイギリス スコットランドご出身の方が台湾の水道事業に関わっておられるのですか?」と機関銃の様な早口で質問してきた。

これに対し賀田は「それをこれからゆっくりと説明しようとしていたんだよ」と言って笑った。

後藤新平、ウィリアム・キニンモンド・バートン、浜野弥四郎の3人がどの様な関係で、何故、台湾の水道に関わり、どの様な実績を残したのか。賀田の話に聞き入る若者たちは興味津々であった。

賀田は湯呑に手を伸ばし、ゆっくりと味わいながら少し濃いめのお茶を飲んだ。湯呑の中で茶柱が立っていて、賀田はそれを観て思わずにっこりと笑った。

 

ウィリアム・キニンモンド・バートン

浜野弥四郎


【参考文献】

稲葉紀久雄 『バルトン先生、明治の日本を駆ける! 近代化に献身したスコットランド人の物語』

稲葉紀久雄 『都市の医師―浜野弥四郎の軌跡』

北岡伸一 『後藤新平 外交とビジョン』

臺灣水道研究会 1941.『臺灣水道誌』台湾総督府内務局

自來水事業処台北自来水事業処. 2008.『市定古蹟「草山水道系統」建築物及設施 修繕維護調査規劃報告書』第二章

伊藤潔 『台湾』

陳育貞,呉亭樺.2018.「台灣自來水産業文化的多元價值」臺灣建築史研究会

喜安幸夫 『台湾島抗日秘史―日清・日露戦間の隠された動乱』

劉俐伶. 2004.「臺灣日治時期水道設施與建築之研究」 國立成功大學建築學系

陳皇志.2017.「臺北水道建設與近代殖民都市發展(1895-1945)」國立臺灣師範大學臺灣史研究所

黄俊銘.1990.「台湾におけるバルトンの水道事業について」『土木史研究 第 10 号』

呉世紀.2017.「臺灣現代化自來水建設之開拓者 都市的醫師-濱野彌四郎」『自來水會刊第 36 卷第4 期』中華民國自來水協會[中華民国水道協会]

石丸 大輝 『日本による台湾水道開発の歴史』 「明治政府が欧米から吸収し、日本と台湾で応用した考え方」 JICA フィールドレポートNo.7 20219

越沢明 「台北の都市計画、1895~1945 年―日本統治期台湾の都市計画」日本土木史研究発表会論文集

呉文星.1993.「東京帝国大学の台湾に於ける学術調査と台湾総督府の植民地政策について」『東京大学史紀要』東京大学史史料室

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