台湾近代化のポラリス 西郷菊次郎と陳秋菊との初出会い
後藤新平から土匪の頭目、白馬将軍と呼ばれ、土匪達の間でも英雄視されている陳秋菊との交渉方法について思案した西郷菊次郎だったが、彼が導き出した答えは、「武器を持たず、お伴は通訳のみ」というものだった。
片足が義足の西郷。丸腰の身で、万が一、土匪達に襲われたらその結果は誰にでも容易に想像できるものだった。それ故に、周りの人達は猛反対した。当然、後藤新平も西郷がお伴もなく、丸腰で交渉に当たると聞いて、「西郷さん、いくら何でもそれは無謀すぎる」と反対したが、西郷は、「私に交渉役を任せてくださった以上、その交渉方法についても全て私に一任してください」と言い、頑として聞く耳を持たなかった。
この事を賀田金三郎から聞かされた賀田組の若手従業員達は「後藤長官がおっしゃることはごもっともです。何故、西郷さんはその様な危険な方法で交渉に挑もうとされたのですか」と菊地が金三郎に尋ねると金三郎は、「西郷菊次郎殿は御父上である西郷隆盛元帥の教えを忠実にお守りになった方なのだよ。西郷元帥は、「天を敬い、人を愛する」という仁愛の教えを説かれた方だ。菊次郎殿はその教えを胸に、民衆のためになる政治を行うことで、住民との融和を図るべく治政に力を注がれた方だった。故に、相手が土匪であろうと、この教えを胸に、人として向き合おうとされたのだ。この仁愛の教えは、我々、商いをする者も絶対に忘れてはいけない教えである。」と言い、従業員達を見渡した。
金三郎は、従業員達に西郷菊次郎と陳秋菊との交渉について話して聞かせた。その内容は、如何にもその場に金三郎が居たかのように、詳しいものだった。
土匪の頭目である陳秋菊との初日の交渉。彼らの陣地に行ったときのことだった。通訳を介して手下の者に「私は台湾総督府から参った西郷菊次郎と申すが、陳秋菊殿にお目にかかりたい」と申し出たが手下の者は西郷の身なりを見て「お前が台湾総督府から来た奴だと。嘘をつけ。総督府の人間がそんなみすぼらしい恰好をしているはずがない。何よりも、武器を持っていないではないか。」と全く相手にしなかった。
その日は一旦、そのまま帰った西郷だが、翌日、再び陣地を訪れ、同じ様に陳秋菊との面会を申し出た。しかしその日も、対応に出た別の手下が、昨日同様に西郷が総督府の人間であることを信じず、相手にしなかった。そのような事が数日間続いたある日の事、その日も同じ様に丸腰で通訳だけを連れて陣地に出向いた西郷。いつもと同じ様に手下に面会を申し出たが相手にされず、帰ろうとした時だった。「等一下(ちょっと待て)」と大きな声がした。その声に驚いた通訳は、西郷に「「待て」と申しております。」とだけ伝え、西郷の後ろに隠れた。西郷が振り返るとそこには白馬に乗った男が馬上から西郷を見下ろしていた。西郷は「こいつが陳秋菊か」と一目で察した。
西郷は怯むことなく「台湾総督府から参った西郷菊次郎だ。そちらは陳秋菊殿と見たが相違ないだろうか」と通訳を介して伝えた。
白馬に乗った陳秋菊は無言のままいきなり西郷の横をスレスレに馬を走らせた。通訳はその場に腰を抜かして座り込んだが、西郷は瞬き一つせず、まるで足に根が生えた大木の様に、ピクリと動かずにいた。
西郷の横をすり抜けた陳秋菊はその様子を見て一言、「跟我來(ついて来い)」と怒鳴った。
通訳は相変わらず腰を抜かしたまま、陳の言葉を西郷に伝えた。西郷は通訳に肩を貸しながら陳秋菊の後についていった。
到着したのは一軒の古びた台湾風の家だった。家というより小屋と言った方がいい感じの粗末な建物だった。中に入ると、数人の男たちが座っていた。陳秋菊に従う他の土匪の代表者たちだった。
西郷は陳秋菊に対し、まずは自己紹介から始めた。途中何度か周りの土匪の代表達から「早く本題に入れ」と言われたが、西郷は「まずは自分と言う人間を知ってもらう必要がある。そうでなければ、人対人として話し合いが出来ない。」と言って、事細かに自分の生い立ちから話をした。
ここからが、西郷と陳との交渉スタートとなるが、西郷の取った交渉方法が本当に正解だったのか、その答えが出るまでにはもう少しの時間を要するのであった。
陳秋菊(維基百科より)
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