台湾近代化のポラリス はじめに

 16世紀の大航海時代、大勢の冒険者たちが未だ見ぬ世界に向けて旅立って行った。

地図もない時代、航海を続ける上で冒険者たちの心強い味方となったのが、ポラリスだった。

ポラリスという言葉は普段あまり聞きなれない言葉。こぐま座で最も明るい恒星で北極星の事である。

 航海はよく人生にも例えられる。穏やかな波の時もあれば、荒らしく、荒れ狂った波の時もある。真っ暗な海上で、今自分が何処に居るのか、何処へ向かって進むべきかを決めるとき、冒険者たちは北極星を目印にした。

人生にも同じような事がある。

何処へ向かっていくべきなのか、何をすべきなのか。どの様に決断すべきなのか。人は常に迷いの世界で苦しみながら生きている。

そんな時こそ、方向性を示してくれる人物との出会いが重要となってくる。

 さて、話は変わるが、日本人の好きな国の一つに台湾がある。親日派の人が多い事でも有名で、東日本大震災の時には250億円以上の義援金を送ってくれたことで、それまで台湾を知らなかった人も、台湾に興味が無かった人も、台湾に対しての認識が大きく変わった。

また近年では、半導体の分野で世界を牽引する存在となった台湾。日本にも台湾の半導体メーカーが進出することになり、ある意味、日本と台湾の力関係は90年代から比べると入れ替わったとも言えるだろう。

この台湾だが、1895年4月17日に日清戦争に負けた当時の清朝が下関講和条約で日本に台湾を割譲したことにより、日本が台湾を統治する事になった。

様々な文献によると、清朝は台湾に対してはその扱いに苦慮しており、ある意味、手放すことが出来て安堵したとも言われている。

問題多き台湾を見ごとに近代化させ、今の台湾の礎を築いただけではなく、日本と台湾の友好関係の礎も築いたと言っても過言ではない人物がいた。

その名を後藤新平と言う。

後藤新平の存在がなければ、台湾の近代化は大幅に遅れていただろう。そして、後藤新平が示した近代化に向けての方向性を実現させていった人物たちも存在する。

ここでは、台湾の近代化に向けてのポラリス的存在であった後藤新平を新たな視点で描いていきたいと思います。

後藤新平との出会いによって大きく人生が変わり、その結果、飛躍出来た人物、賀田金三郎の視点から、彼の人生のポラリスでもあった後藤新平とはどの様な人物であったのかを紐解いていきます。

尚、この物語は史実を基に、一部フィクション化もしています。

 


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